「失敗が怖い」と一口にいいましても、「怖い」理由はいろいろありそうです。
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「失敗が怖い」3つの理由
思うにだいたい以下の3つになるのではないでしょうか。
- 失敗したときに被る損失が怖い
- 失敗して可能性を否定されるのが怖い
- 失敗したのを知られると恥ずかしい
この3つですね。
それぞれ違った対策が考えられますので順番に見ていきましょう。
失敗したときに被る損失が怖い
これはある意味「正当な恐怖」ですが、行き過ぎるとすべての行動を縛ってしまいます。
「正当」というのは、失敗したときの損失と、成功したときの利益、それを勘案した結果、「これは怖いな、やめておこう」という場合です。
これはちゃんとリスクとリターンを考えているわけですので問題ありません。
しかしこれが行き過ぎてしまうと・・・ちょっとしたリスクでも「避けなければ」となってしまって、何も挑戦できないということになってしまいます。
つまり人生においてあらゆるチャンスを見逃してしまうということですね。
対策:リスクの捉え方
これへの対策としては、
- リスクだけでなくリターンにも注目すること
- 「取るべきリスクは取りに行かなければチャンスを逃してしまう」ことをいつも意識しておくこと
となります。
失敗して可能性を否定されるのが怖い
これはたとえば小説家になりたい人が毎日小説を書きためているとしますよね。
でも、なかなか小説の新人賞に応募できない。
なぜなら、予選で落ちてしまって自分の才能を否定されるのが怖いから。小説家になる可能性を否定されるのが怖いから。
なんてケースが考えられます。
対策:分ける
これはまず、「自分自身」と「自分がやったこと」を切り離して考えることが基本になります。
そう考えると、「失敗」しているのは「やったこと」であって、失敗によって「自分自身」が否定されることはありません。
なすべきことは「やったこと」の修正あるいは改善のみ、ということになります。
上記小説家志望の例であれば、たとえば小説新人賞の予選で落ちてしまったとしても、
「私には才能がないんだ・・・」
となるのではなく、
「この小説、どうしたらもっと良くなるだろう?」
「次はもっと良い小説を書くぞ」
というように、自分ではなく小説の方に目が向くことになります。
ここで「自分に知識が足りなかったからだ」「スキルが未熟だったからだ」という結論が出るかもしれませんが、それでさえ「自分の否定」ではありません。
「知識を身につけてこなかった」「スキルを磨いてこなかった」という「やったこと」がまずかったわけですから、そこを改善すればいいだけ、ということになります。
以上、
「自分自身」と「自分がやったこと」を切り離して考えること
についての話でした。
でももう1つ考えるべきことがあります。
対策:失敗の捉え方
それは、「ほんの数回チャンレンジしただけで成功する人なんていない」ということ。
上の例で言えば、新人賞に1回落ちただけで可能性が否定されるなんてことはない、ということですね。
成功者は例外なく、何度もチャレンジを続けています。
トーマス・エジソンが電球づくりに2万回だったか失敗した経験について、
「いや、失敗なんかしていない。電球がつかないやり方を二万通りも確認できたんだ」
なんて言った、というのは有名な話です。
本田宗一郎さんにも有名な言葉がありますよね。
「私に負けはない。なぜなら勝つまで続けるから」
というもの。
うまくいくまで何度でもやってやる、という気概が成功には必要ということですね。
失敗したのを知られると恥ずかしい
これも基本的には、2つ目で取り上げた考え方が重要になります。
「自分自身」と「自分がやったこと」を切り離して考えること
ですね。
この考え方でいけば、別に自分が恥じ入る必要はありません。ただ、「やったこと」について、修正・改善すればいいというだけの話になります。
ただ「人に知られると恥ずかしい」というのは、これに加えて心理的な問題もありそうですよね。
人の目が異常に気になるという。
対策:自身と自信
じゃあどうすればいいのかというのはそれだけで一つのテーマですのでまた別の記事で取り上げてみたいと思いますが、とりあえず言えるのは、
「自分自身」と「自分がやったこと」を切り離して考えること
これが役に立つということですね。他人の批判を聞いてもそれは「自分自身」に向けられたものではなく、「自分がやったこと」に向けられたものだと捉えればいいわけですから。
あとはやはり、
自分を磨くこと
これが大事でしょう。どんな分野であれ、自信が持てるほど自分を高めていれば、人の視線を気にして「間違ってるんじゃないかな?」なんておどおどすることも無くなるでしょう。