タイトルの言葉は「偽物語」という作品のキャラクター「阿良々木火憐」さんの名言だそうですが、私も「ほとんど」そう思っています。
綺麗事ではない
まず
「お金がすべてじゃない」
というのは、綺麗事でも何でもなく、論理的に正しいですよね。まあ比喩的に解するべきなんでしょうけど。
「ほとんど」でも言いすぎかもしれないけど、十分なお金があれば、現代人の悩み苦しみ不安の「ほとんど」は解消できるのではないでしょうか。
悩み、苦しみ、不安の大半を消せる
たとえば、心身を壊す一大原因として「ひどい職場」があります。
特に日本は外国に比べるといわゆる「ブラック」が多いそうですね。
平気で人格を踏みにじるような職場もある。
それなのに、そういう職場に歯を食いしばって我慢して通わなければならないのはなぜかというと・・・
「仕事がなくなったら生活できない」
という不安があるから。
そうしてひどい職場で限界を超えるまで我慢し続けた結果・・・心身を壊す、最悪、自殺や病死も珍しくない。
でも、10億円でも貯金があればどうでしょう?
そんな職場、即やめますよね。で、あとは楽しそうな仕事をのんびり探すことでしょう。
つまりお金があるだけで、悩みや苦しみや不安の多くが消えてなくなります。
そしてそのことによって、体の病気、心の病気の大半を予防できることになります。
これ、見方を変えればお金で命だって買えるということですよね。ある程度。
命も買える
「お金で命だって買える」
ということについて、もうちょっとわかり易い例を出すなら・・・
ある人がガンになったとしましょう。
これ、お金が十分ある人なら、お金に糸目をつけず、こまめに高度な健康診断を受けることができますので、早期発見できている可能性が高いです。
でもここでは、発見が遅れてしまったことにしましょう。かなり危険な状態だったと。
その場合でも、十分なお金を持っている人は、有り余るお金を使って世界中から情報を集め、あらゆる治療法を試すことができます。
がん治療の世界的権威から怪しい○○療法まで、可能性があるものはいくらお金がかかろうが試すことができます。
それができるなら、その中から運良くその人にピッタリの治療法が見つかる可能性だって高くなって当たり前です。
ところが、その人にお金がなかったら・・・たまたま出会った医師の言う通りにするしかありません。一つの方法しか試せない。
それどころか、お金がないのでまともな治療すら受けることができないかもしれない。
お金を持っている人と持っていない人で、がんが完治する確率に雲泥の差ができるのは当たり前のことです。
つまりこれも、お金で命が買えているということ。
お金がある、ただそれだけである人は生きることができ、お金がない、ただそれだけである人は死んでしまう。
今の時代、お金がいかに役立つかがわかると思います。