特に日本人はそうだと思います。
子供の頃からそういう教育を受けてきたのではないでしょうか。
「苦しみに耐えるのはよいこと」
「苦労は買ってでもしろ」
「自己犠牲は美しい」
「楽をしようとするな」
「お金は汚い」
等々。
私はこういうのはすべて「洗脳」だと考えています。強制が伴わないからマインドコントロールと言うべきでしょうか。まあ、どっちでもいいですね。
何のための洗脳か
じゃあ何のための洗脳かというと、それはもちろん
「都合の良い労働者を量産するため」
です。
上記のような考え方に凝り固まっている人は、会社であれ役所であれ、組織のために黙って働いてくれますよね。
そういう人が増えたほうが、「人を使う側」にとっては好都合です。
「いや、夢を叶えるために苦しみに耐えている人もいるでしょ?」
と思うかもしれません。
そうですね。
それも「苦しみ」と呼べないこともありません。でもそれは区別しておかないと洗脳の罠にはまってしまいます。
じゃあどう区別すればいいのか?
「苦しみ」を混同するなかれ
以下のように区別します。
①不安や恐怖で「脅迫」されて嫌々やっている
②夢を実現するためにやりたいことを夢中でやっている
①に当てはまる場合、これは「苦労は美しい」洗脳にしてやられていると行っていいでしょう。
②の場合は、はたから見ると苦しんでいるように見えるかもしれないけど、やっている当人はやりたいからやっているわけで「苦労している」「苦しんでいる」という感覚はありません。
だから、外部から見ると「ブラック」に見えるような企業でも、働いている人が全員②のような状態であれば、それはむしろ良い企業と言えるでしょう。
漫画の主人公が苦しみに耐えているように見えるのだって、実は自分のやりたいことに熱中しているだけですよね。
でも、「洗脳」が巧妙なのは、②の例を見せつつ現実としては①を多くの人に押し付けることです。
そして多くの人は①と②を区別しないから、無意味に苦しみを耐え続けることになります。
そうして死ぬまで苦しみに耐え続けるか・・・途中で壊れるかしてしまいます。
苦しみの後に幸せが来る?
「苦しいのを我慢して頑張ればいつか幸せになれるよ」
という信念を持って生き続けると、死ぬまで苦しいのに耐え続けることになります。
斎藤一人さんも
「苦しみの後にやってくるのは苦しみ」
とおっしゃっています。
まさに、幸せなのは死ぬときだけ、という笑えないことになってしまいます。
だからそろそろ「苦労は美徳」洗脳に気づかねばなりません。
そろそろというか、今すぐ考え方を変えねばなりません。
①と②の違いを、いつも意識しているようにすべきでしょう。
自分がやっていることに「苦しみ」や「苦労」を感じたら・・・それは「間違ったことをしているからだ」と思うべきでしょう。
別の道を選べというサインではないかと、立ち止まって考えてみるべきでしょう。
私たちは「楽しむため」に生まれてきたのだから。