「アドラーの心理学」とは時折耳にする言葉ですが、このアルフレッド・アドラーという人は別に最近の人ではありません。
生まれたのは19世紀後半ということですので、日本で言えば明治時代の人ですね。
しかもアルフレッド・アドラーは、あのフロイトとかユングと並んで心理学の三大巨頭なんて言われる人なんだそうです。
それでその歴史的な心理学者の本が最近注目されています。
このページの内容
嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え (ダイヤモンド社)
という本です。もっとも「嫌わる勇気」はアドラーの著書ではなく、日本の学者さんがアドラーの心理学を広めるためにわかりやすくないたものですけど。
形式としては、青年と哲人の対話という形になっていますので、非常に読みやすいです。
アドラー「嫌われる勇気」レビュー1~人は傷付けられるのではなく
アドラーの「嫌われる勇気」の中で個人的に大事だなと思うのは承認欲求もそうですが、私たちは自分で自分を傷つけてしまうものなんだなということですね。
目の前で起こっている現象に対して、勝手に自分で意味付けをして傷ついてしまう。
そういうことって多いんじゃないでしょうか。というか、それが全てであるような気もします。
たとえば身の周りにいる人のちょっとした言動を「これは自分のことを嫌ってるんだな」と解釈して人間関係を悪くしてしまったり・・・
そういうことってありますよね。
アドラー「嫌われる勇気」レビュー2~人間関係だけでなく
このことは対人関係にかぎらず、人生で起こる全てのことに当てはめることができます。
そうして何でも悪い方に解釈していると・・・・・・もう、この世は闇、生きているのが嫌になってしまいますよね。
でも世の中にはこれとは逆の考え方をする人もいます。まったく同じ現象を目にしても、自分にとって役立つ方に解釈する人。
以前お話した「ポジティブ遺伝子」との関係もありますけど。
まあそういう人は、同じ出来事に直面してもそれを行動するためのエネルギーに変換できるんですね。
同じ出来事を目の前にして・・・
科学的な意味での「エネルギー」に違いができることなんて考えられませんが、その人の意味付け次第で精神的なエネルギーには天地の差がついてしまうという・・・
そこが人間の面白いところですね。
「すべての悩みは対人関係」
これは「嫌われる勇気」の「第二夜」のタイトルなんですが・・・
「いやいや、そんなことないでしょ」
って思いませんでした?
私は思いました。^^
だってね、今の日本、「とにかく生き残る」ことだけで、手一杯な人が多いはずです。
そんな、人間関係で悩んでいる暇なんてないと。
とにかくまずは、生活をなんとかしなきゃいけないんだと。
「恋人がどうとか、友人関係がこうとか、贅沢な悩みだな、おい!」
「え? あの人にどう思われているか気になるって? 暇なやつだな、おい!」
なんて。
そういう人が多いはずです。
だから「すべての悩みは人間関係」なんて言える人は、「恵まれている」と考えることもできるわけ。
なので、人間関係の悩みが増えてきたら・・・
「あ、自分の生活水準もずいぶん向上したんだな~」
なんて、喜ぶといいですよ。
「承認欲求を否定する」
これもですね、「嫌われる勇気」に出てくる言葉です。
でもこれもやっぱり「贅沢な悩み」ですよね。
「あの人に認められたい? 何言ってんの、そんなことはどうでもいいでしょ。それよりまず安心して生活できることが大事でしょ」
と思う人が多いはずです。
実際ですね、承認欲求が強い人って、もう十分、余るほどお金は持っています、っていう人が多いですよね。
大多数の人は承認欲求とか言っている場合じゃなくって、「安心と自由」、これが欲しいはずです。
それが得られれば承認欲求なんてどうでもいいと思う人が多いハズ。
アドラーは恵まれていた?
こう考えてみると・・・アドラーっていう人は恵まれた環境で生きてきたんじゃないかな、と思えますね。
と思って調べてみましたら・・・
両親は大金持ちと言うほどではないけど、そこそこ豊かな家庭だったようです。
その上、彼自身は卓越した知性に恵まれていたわけですから、やっぱり恵まれた環境で生きてきた人なんですよね。
アドラーが貧乏のどん底で、生きるか死ぬかの生活をしてきたのなら、また違った理論が構築されたのかもしれません。
まあそんな環境だと、のんびり学問なんてやってられないから、彼の優れた知性も埋もれてしまったかもしれませんが。